転職の考え方
転職可能性を測るパラメーターは
・年齢
・経験
・市場環境
がある。
年齢については
・企業の求める年齢層
・入社からどれくらいかけてキャッチアップし、周囲のレベルと合ってくれるか
が非常に重要である。
一般的に年齢が高ければ高いほど、中途採用における書類選考通過率は低くなる。30前後が一番高くおよそ20%強、35歳前後が15%、40歳前後が10%と何となく、5歳区切り5%刻み、と思っておくといい。
年齢が上がるにつれて通過率が高くなる要因は偏に、「年齢が高いほど企業側の見る目線が高くなる」ことがあげられる。
例えば20代の若手であれば、求めるポジションに対しての経験の合致度がそこまで高くなくても、入社後にキャッチアップしてくれるという期待感(転職市場ではポテンシャルという)があるので、ハードルは低めになる。
40歳の人であれば状況は一変する。そもそもすでに転職先で活躍する40歳前後の方との比較になるので、当然即戦力になってもらわないと困るし、年齢的にも管理ポジションを任せていく必要が出てくるので、経験の合致度はかなり高めにみられるし、管理・マネジメント経験もプラスで求められる。
35歳くらいであればどうなるのか、というと企業にもよるがマネジメントではないにしろ、係長やグループリーダーを任せ、将来の管理職候補という意味合いが強くなるので、やはり徐々に目線は高くなる。
以上を踏まえると、以下のようなイメージだ。
20代・・経験が50%位合致してれば、ポテンシャルも含めて採用検討するよ
30代・・経験は70%位合致しててほしくて、2-3年後にはリーダーとかも任せたいな
40代・・経験90%一致以上の即戦力で、すぐにでも管理も任せて活躍してほしい
年齢が高い人が転職出来ないというわけではないが、企業側の採用意欲や背景も踏まえて、今の時点ではどんな転職先があるのか、は常にエージェントに確認したほうがいいだろう。
3年後の転職でいいや、と考えている人は3年後の年齢的な市場価値は厳しくみられることを自覚すべきだ。
一の質問に十返すのはありがた迷惑でしかない
教わった内容が身になるのは、必要に迫られた場面で自分が使うとき、です。
職場で先輩に質問があるときは、業務上必要に迫られた場面でしょう。
もちろん、雑談・日常会話のシーンでの質問は、興味本位とかが多くなりますので、この限りではない。
そうだとしても、自分が質問した内容から派生して、過多な情報を返されるというのは非常に戸惑います。
作業上、次ステップで必要な情報を教えてくれる場合もあるでしょうが、聞き手と話し手の立場の違いを無視しています。
話し手からすれば既知の情報であっても、聞き手には初めての情報です。
初めての情報を吸収するのには結構エネルギーを使います。
果たして、元々聞きたかった情報にプラスして新たな情報を教えられたとして、あなたの身になるでしょうか。
例外として、質問を聞く中で、そもそもの作業自体に問題があったりして、色々教えてやり直させないといけない場合があります。
ただし、その場合であっても、十を教える必要はありません。
そもそも十を教えてくる人はどういった意図なのでしょう。
考えるに、
1.行き過ぎた親切心
2.知識の誇示
3.質問を理解できていない
といった3点の原因があるように思います。
親切心で教えてくれる人は、悪気も何もないのである意味一番たちが悪いです。
知識の誇示をしたい人は、年配の暇な人に多いでしょうか。
質問を理解できていなくて、関連する情報を要点も得ずにだらだら教えるパターンもあります。「そうじゃなくて・・・」となったら質問の仕方を変える等が必要です。
質問内容以外の話を聞くのは興味がなければ時間の無駄です。
興味があるというのは、ある程度必要性を感じている、ということですから、聞いておけば糧になります。
一方で興味も湧かない「ちなみに」返答は聞く必要はありません。
あの手この手でその人との会話を終了させましょう。
・このあと会議があるので失礼します
・携帯のアラームを事前にセットしておいて、連絡が入った風を装い逃げる
何でもいいです。
定着しない不要情報を取り入れる余裕は、このIT時代のスピードに全くそぐわないです。
未だに「うちの会社の人は面倒見が良くて、ひとつの事を聞いたら色々教えてくれる人が多いんだよ」とかいってる会社を見つけたら、無駄が多いのかな?と思っておきましょう。
蛇足ですが、「一を聞いて十を知る」という言葉があります。
物事の一部を聞いただけで全てを理解できる、という意味で賢明で察しのいい人のことを言います。
一の質問に十を返されたら、十を聞いて百を知れるのか、答えは否です。
人間の脳は一度に百も知れるほどの力はありません。
寧ろ一の質問に対して知りたかったことすら記憶が薄れてしまい、「一を聞いて十を知る」能力がある人が「十を聞いて十以下を知る」状態に陥りかねません。
足し算ではなく、引き算を行うことで、本当に大事なものが強調されることもあります。
無駄をなくして、真に必要な情報を見極める力を養うべきでしょう。
めだかボックス② 第70箱 「好きだぜ」
ジャンププラスで絶賛無料公開中の本作品。
ジャンプで当時読んでいたはずなんですが、なんというか読めば読むほど面白い作品ですね。
一気読みで読むのと週間で読むのでも受けが全然違いますしね。
というわけで70箱のまとめ・感想。
最初は回想シーン、
中学時代に球磨川がとある女生徒(安心院さん)の顔をはがした大事件をおこし、ぶちぎれて乱心モードになっためだかちゃんが球磨川を制圧したところから。
「二度と人の心を傷つけない」
「二度ときみ達の前に姿を現さない」
「僕は反省したんだ」
「めだかちゃんだけは僕のことを信じてくれるよね」
「わかった 信じよう 許す」
歯を食いしばって言葉をひねり出しためだかちゃんに対して、
そっとほくそ笑む球磨川
そして話は今に戻り、
善吉が自分を奮い立たせようとします。
「俺の視力を「なかったことにした」だって?それがどうした馬鹿馬鹿しい!」
「大したスキルだが、今更驚きもしねえよ!」
「痛くもかゆくもねえよ!」
「むしろ目を瞑るまでもなくなって、ありがとうと礼を言いたいくらいだ!」
「さあ!続けるぞ球磨川!」「何なら俺はお前をなかったことにしてやるよ!!」
しかし言葉とは裏腹に、おびえ震える善吉。
対して球磨川
「そうだよ善吉ちゃん」「それが「見ない(プラス)」と「見えない(マイナス)」の違いだ」
と勝ち誇ったような表情。
自分の意志で「見ない」ことをプラス、自由を奪われ陥った「見えない」ことをマイナスといっているわけですね。
結果が一緒でも中身は大違いというわけです。
善吉は蹴りを繰り出すも、球磨川に躱されてしまいます。
「目を閉じた方が強くなると本気で信じていたのかな?」
「漫画じゃないんだから、見えた方が強いに決まってるだろ」
くじ姉はマイナス無効化システムを13まで用意していたようだが、基本戦略は自己暗示。
善吉が球磨川の恐怖を思い出してしまった以上、システムはマイナスにしか働かない。
絶体絶命の善吉。
そもそも「大嘘憑き(オールフィクション)」なんて聞いてなかった、とくじ姉がめだかちゃんを詰めます。
しかし、めだかちゃんも大嘘憑きなんて知らなかった。
中学時代の球磨川には、こんな物理法則を無視できるような最強能力は備わっていなかったようです。
(なかったことにできないのに、同級生の顔を剥ぐとか恐ろしすぎますね)
善吉ママももちろん知らなかった模様。
大嘘憑きは「この三年間で球磨川が新たに得た 否 新たに失った過負荷(マイナス)」
この言葉回しが西尾節ですね。大嘘憑きという最強能力は得たものでなく、失ったもの。なかったことにする能力ではなく、すべてを台無しにしてしまう欠点とみなしているわけですね。
依然苦戦を強いられる善吉にくじ姉が喝を入れます。
最近身につけたばかりの過負荷である以上、使い慣れてない、コントロールできない能力のはずだ!と。
しびれますね。
しかし、球磨川。確かに乱用はできない。
「だって油断すると世界そのものをなかったことにしちゃうからね」
さらっと恐ろしいことを言います。これも本当なのかどうかはわかりません。
「ただしまるっきりコントロールできない訳でもない」
「善吉ちゃんの視力をなかったことにした現実を、更になかったことにすることくらいはできる」
「あれ?反応したね」
「まさかとは思うけど戻してほしいの?」
「僕のこと眼中にないってあんなに格好良く言ってたのにおかしいな」
「仲直りして友達になってくれるなら、その目戻してあげてもいいよ」
「争う理由なんか何もないじゃないか」
「色々あったけど、きっととてもいい友達になれると思う」
球磨川先生の圧倒的揺さぶりラッシュです。
善吉の心も揺らぎます。
意外とそれも悪くないかな?なんて思いふけったりします。
今折れたところで、勝負は勝ってるんだし関係ない・・・
「球磨川、俺はお前が嫌いだ。だから友達にはなれない」
善吉は折れませんでした。
ここで屈したら、たくさんの心が球磨川に折られてしまう。それだけは阻止しなければいけない。
恐怖を感じながらも決意の表情に変わります。
「めだかちゃん!楽しい高校生活だったなあ」
今までのことを振り返ります。
生徒会選挙のこと。
目安箱を設置してからの激動の日々。
阿久根・喜界島が仲間になった時の思い出。
風紀委員会との抗争。
時計台地下の視察。
今となっては全部いい思い出だ。
対してめだかちゃん、
「何を言っている。やめろ。言うな。」
「そんな今わの際みたいなこと 言うな!」
「好きだぜ めだかちゃん」
見えないはずの善吉の攻撃が再び球磨川に当たり始めます。
「見えなくても戦えるよう頑張った。お前は俺の努力までなかったことにはできない!」
「とはいえまだビビってる、だから体の震えが止まらないならもっと激しく震えるまでだ!」
震脚をくりだし、リングを下までたたきつけます。
下には当然ハブが待ち構えています。
ハブに一瞬で巻き付かれる球磨川。
しかし、球磨川には大嘘憑きという欠点(マイナス)があります。
なかったことにしてまえば何の問題もない、と思ったその時善吉が球磨川の手を押さえつけます。
「その欠点なら俺がカバーしよう。」
マイナスの能力だからこそ、押さえつける・封じるのではなく「カバーする」
圧倒的な能力だと読者に印象付けておきながら、欠点であることを強調する西尾節です。
人の欠点を見かけて、封じてやろうなんて意地が悪すぎますよね。欠点を見かけたらカバーする、それがあるべき姿です。
「友達にはなれないけどせめて一緒に死んでやるよ」
「いやだ死にたくない、謝るから許して。僕が悪かった」
「お前の口からそんな言葉を聞くとはな」
「とてもじゃねえが 信じられねえよ」
二人して猛毒のハブ噛まれていくところで70箱は終わりです。
名言も多く、人気の高いお話です。
善吉の男が見れましたね。
ちゃんと告白するのは初めてじゃないですかね。
そして、一度は心を折られかけても、立ち直る強さ、こんな男がノーマルとは思えませんね。
アブノーマルよりマイナスより誰よりも人間臭い善吉だからこそ、人の心に胸打つんですかね。
めだかボックス① 球磨川に学ぶ
球磨川に学ぶ人生の敗者メソッド
作中屈指の人気キャラクターの魅力は何なんでしょうか
人がすがりたくなるような嘘を平気でつくような奴といわれています。
しかし、そんな嘘の中にも彼がマイナスな存在として胸中に抱いている本音が所々で垣間見れるわけで、それが私たちの心に響いてきます。
バトル漫画的素養を持つめだかボックスが、ただのバトル漫画にならず、バトルそのものの勝ち負け以外のところで物語が動いていくというのは魅力の一つです。
バトルそのものの結果を度外視するような発想は、ほとんどこの球磨川から生まれているわけです。
「勝ちには決して執着しない」
勝って格好良く死ぬくらいなら、負けてみっともなく生きることを選ぶ
「いい台詞を言ってからが本番」
「すべての負を恋人のように受け入れる」
不条理・理不尽・堕落・混雑・嘘泣き・言い訳・偽善・偽悪・いかがわしさ・インチキ・不幸せ・不都合・冤罪・流れ弾・見苦しさ・みっともなさ・嫉妬・裏切り・格差・虐待・風評・密告・巻き添え・二次被害、それらすべてを
愛しい恋人のように受け入れることだ
「人生はプラスマイナスゼロだ」って言う奴は決まってプラスの奴なんだ
あなたが今マイナスの真っただ中にいたとしたら、でも人生プラスマイナスゼロだしな、とは絶対に思わないでしょう。
なんで私ばっかり、と思ってしまうのは当然です。
つまり、これを言ってくる奴はみんなプラス真っただ中の奴らです。
常にマイナスの球磨川くんが、プラスの奴にこれを言われたら納得いくわけがないでしょう。
人生はプラスマイナスゼロ、っていうのは落ち込んでたり嫌なことがあった人への有効なアドバイスに感じられますが、自分と相手の立場が現状違うっていうのを理解していない人が言っても、マイナスの人に響かない訳ですよ。
マイナスな球磨川くんからすれば、人生はマイナスだらけ、
プラス(いいこと)があったからといってマイナス(やなこと)が帳消しだなんて思えたことはない
ちなみに登場人物の一人、善吉くんがこれに対して
「人生はプラスだ」
っていってきます。
生を受けて人生を全うしている時点でプラス、という考えでしょう。
生きていればプラスマイナスあって、それが結果としてプラスとして終るという考えもおおむね同意。
ちなみに、この時球磨川くんはとてつもなくいい顔をしてやがります。
こういうことを平気で言う人に対してこそ
なんのことはない、僕は幸せでプラスなみんなに、マイナスの気持ちをわかってほしいだけなのかもしれないね
という言葉が響いてきます。
カッコつけて(「」つけて)話している以上100%の本心でないにしても、言葉の端々に本心のようなものが見え隠れしています。
プラスなみんなの一人である善吉くんに、マイナスの気持ちを思い知らせ、人生に絶望するさまを見たいのでしょう。
勝ち負けにこだわらない生き方は難しいかもしれませんが、実際の勝負よりも上位の目的意識を持つのがいいのではないでしょうか。
ジムになんとなく通うぐらいなら市営ジムの方が絶対にお得
空前絶後のジムブームが現世日本にて巻き起こっているような気がします。
私の周りだけかもしれませんが。。
しかし、海外諸国に比べれば全然まだまだです。
そもそも日本はジムの絶対量も少ないです。
それ故にジム通いは結構お金がかかります。
オーストラリアに行ったときは公園にジム設
備がありました。
また、海外だと大体のホテルに立派なジムがついています。
日本がこのレベルに行くまでにはまだまだかかるでしょうが、それを理由にジム通いをやめる必要はありません。
しかし、気になるのはやはりお値段です。
普通に通うと月10000円とかざらにあります。
こういうところは大抵フィットネススタジオが併設されてて、単純な筋トレや有酸素運動以外に、スタジオレッスンが受けれたりします。
その講師代とかにお金がかかるわけですね。
しかし、こういったプログラムを受けなくても、受ける人と同様の金額が取られるジムがほとんどです。
月8000円以上払うなら、こういったプログラムもフル活用しないともとは取れません。
パーソナルの体験とかも受けられますが、そこで追加料金がまたかかります。
とはいえ、パーソナルだと一回1万円ぐらいが当たり前な感じなので、ジム割引が受けられるのなら、こちらもフル活用してもいいかもしれません。
もう少し値段を落として月6000円ぐらいのジムもあります。
この辺になると、スタジオレッスンとかもないのて、黙々とトレーニングしたい人はこちらに通うべきでしょう。
しかし、何よりおすすめしたいのは市営とか区営のジムです!
通勤通学圏内にあるかどうか探してみてください!
おすすめの理由は値段です。
市営ジムの値段は地域にもよりますが500円以下です。
安いところだと100円とかもあります。
もし週二回行ったとしても
一回500円で4000円、
300円で2400円
100円なら1000円以下です
最初にやる気を出したら、いっぱい通ってもとを取ろうとか思っちゃいますが、絶対に長続きはしません。
アスリートとかビルダーとかフィジーカーでもない限り週2行けば十分、というかそれ以上のペースだと、強固な意思がない限り続きません。
ただし、安かろう悪かろうではありませんが注意点が3つあります。
①施設はそこまで広くないことが多く、利用客が多いと中々使えない。
②大手フィットネスクラブのようなサービス精神がスタッフにあるわけではない。
③フィットネスクラブほど清潔感がない。
ワンコイン以下で使えるのだから贅沢は言いっこなしです。
過度な期待をしていくと、痛い目を見ます。
いいところのジムに通うとサービスにも満足すると思います。
しかし、値段相応にフル活用できているのか、考えてみてください。
削れるお金は削っていくことで、自分の好きなところでちょっとした贅沢が出来るように工夫しましょう。
パックで新幹線を予約する際の注意点 【早めの時間がお勧め?】
じゃらんやらHISやら東海ツアーズやらを使って新幹線往復チケット(+宿)を取るとかなり割安で取れるので便利ですよね。
日帰りも良し、一泊するも良しで、かなりバラエティに富んだプランを各社用意してくれています。
そんなプランで予約して先日仙台旅行に行ったときのお話です。
一泊の旅行で、ゆったり観光をしようと思い立ってパックで予約をしました。
一応目的地にはニッカウヰスキーの仙台工場見学なんていうのもありましたが、後は行き当たりばったりで美味しいものを食べていこう!そんな感じの旅行です。
緩めのノープラン旅行の経験がある方ならお分かりになるかと思います。
一通り観光して帰りの仙台駅へ向かうと
「予定時間よりかなり早く仙台駅に戻ってきてしまった」
という事態になってしまいました。
元々かなり余裕を見てしまった時間でチケットを取っていたこともあったのですが、意外とこういう事態ってありますよね。
もう一観光しても良かったのですが、疲れもあったし早めに帰れるなら帰りたいなと思う一向。
しかし皆さんご存知かと思いますがパックで取った新幹線チケットは変更がきかないんですね。
窓口と電話で変更できないか確認しましたが、
変更できるのは予定時刻以後の自由席のみ
という回答でした。
万が一の状況に備えて遅い時間を取れば確実に座れる指定席が取れます。
万が一早く用事が片付いたときに早く帰りたいと思うのであれば、出来るだけ早めの新幹線をパックでおさえておいたほうが後々便利です。
早めの新幹線に乗れなくても、
乗り遅れた人への救済措置
という意味合いで、後発の新幹線の自由席は利用できます。
もちろん、
ばっちりプランニングして旅行をする計画的旅行者や
折角時間が余ったら、もう1スポット観光に行こうという意欲的観光者
という枠にあなたが当てはまるのであれば、無理に早めの時間を抑えておく必要もないでしょう。
しかし、
明日も仕事あるし、目的は達成したから早めに帰って英気を養いたいという省エネ旅行者や
わざわざ時間が余ったからといって無理していく場所を増やして、結果最後のスポットは行かなくて良かったね、とか思っちゃう非熱中型観光者
の皆様におかれましては、あえて早めのチケットをおさえておき、乗り遅れたとしても自由席で悠々と帰る、という手法を強くお勧めします。
いずれにせよ、万が一に備えて
あえて遅い新幹線をとる、というのは愚行である
というのが、本旅行メンバーの総意でした。
色眼鏡で人を見るのはやめよう
この世は偏見に満ち溢れています。
偏見に頼ると判断が楽になるからです。
まずは見た目の偏見です。
「人は見た目で判断してはいけません」
よく子供のころ親に言われたんじゃないでしょうか。
でも私が言いたいことは少し違います。
見た目にはある程度内面がにじみ出るものだと思っているからです。
爽やかな人は汚らしい人よりきれい好きである可能性は高いし、スタイルがいい人は運動とかをしていて体に気を遣うまめな人なんじゃないかと思うのは当然のことです。
でも、それは統計的なものであって絶対的なものではありません。
見た目をヒントにすることは問題ありませんが、見た目で内面までを判断して勝手に決定してしまうのは立派な偏見です。
後は略歴から判断される偏見でしょう。
分かりやすいところで言えば「いい大学出てるから」「大手企業に勤めてるから」といった理由でその人が優秀かどうかを判断することです。
これも当然、学歴が良かったり大手に入社出来てるってことで、優秀な要素がある可能性は高いです。
でもそれこそ、会社のESにふつうは大学名を書きますが、全員が大学名を隠した場合、果たして同じ人が採用されているでしょうか。
絶対にそんなことはないと思います。
このことから、少なくとも日本社会は、偏見がうまいことかかった人が上にのし上がりやすい構造になっているといえます。
先輩・後輩という構造も偏見構造です。
長く生きている分経験に勝るからといって、能力まで先輩が上とは限りません。
もちろん経験を積み重ねて高い能力を築いている人は大勢います。
しかし、その陰で、のらりくらりと年を重ねた先輩社員も、その大勢の努力に隠れて高い評価を得ているかもしれません。
年功序列という方式がそもそも偏見評価制度といえるでしょう。
年が上の人の方が高く評価される。というのはすなわち、「年上の方が経験が豊富で仕事もできるはず」という偏見に他なりません。
今、その構造に気づいた人たちが、社会の構造を変えるべく新しい分野で活躍していってます。
そんな中で成功を収めた一握りの人は、偏見を勝ち取ります。
成功者バイアスは日本で最も価値ある武器の一つです。
偏見を勝ち取ることは生存戦略です。
しかし、偏見に踊らされてはいけません。
偏見に気づけない人には成功者バイアスは手に入れられません。
色眼鏡で人を見るのをやめるというのは、対等に人を見ることです。
対等だからといって先輩に敬語を使わないとかではありません。
先輩も後輩も身分も役職も取っ払って人を見る、ということです。
正しく人を評価できるようになれば、正しい評価と実際の評価の差異も見えてきます。
その差異が偏見です。