一の質問に十返すのはありがた迷惑でしかない
教わった内容が身になるのは、必要に迫られた場面で自分が使うとき、です。
職場で先輩に質問があるときは、業務上必要に迫られた場面でしょう。
もちろん、雑談・日常会話のシーンでの質問は、興味本位とかが多くなりますので、この限りではない。
そうだとしても、自分が質問した内容から派生して、過多な情報を返されるというのは非常に戸惑います。
作業上、次ステップで必要な情報を教えてくれる場合もあるでしょうが、聞き手と話し手の立場の違いを無視しています。
話し手からすれば既知の情報であっても、聞き手には初めての情報です。
初めての情報を吸収するのには結構エネルギーを使います。
果たして、元々聞きたかった情報にプラスして新たな情報を教えられたとして、あなたの身になるでしょうか。
例外として、質問を聞く中で、そもそもの作業自体に問題があったりして、色々教えてやり直させないといけない場合があります。
ただし、その場合であっても、十を教える必要はありません。
そもそも十を教えてくる人はどういった意図なのでしょう。
考えるに、
1.行き過ぎた親切心
2.知識の誇示
3.質問を理解できていない
といった3点の原因があるように思います。
親切心で教えてくれる人は、悪気も何もないのである意味一番たちが悪いです。
知識の誇示をしたい人は、年配の暇な人に多いでしょうか。
質問を理解できていなくて、関連する情報を要点も得ずにだらだら教えるパターンもあります。「そうじゃなくて・・・」となったら質問の仕方を変える等が必要です。
質問内容以外の話を聞くのは興味がなければ時間の無駄です。
興味があるというのは、ある程度必要性を感じている、ということですから、聞いておけば糧になります。
一方で興味も湧かない「ちなみに」返答は聞く必要はありません。
あの手この手でその人との会話を終了させましょう。
・このあと会議があるので失礼します
・携帯のアラームを事前にセットしておいて、連絡が入った風を装い逃げる
何でもいいです。
定着しない不要情報を取り入れる余裕は、このIT時代のスピードに全くそぐわないです。
未だに「うちの会社の人は面倒見が良くて、ひとつの事を聞いたら色々教えてくれる人が多いんだよ」とかいってる会社を見つけたら、無駄が多いのかな?と思っておきましょう。
蛇足ですが、「一を聞いて十を知る」という言葉があります。
物事の一部を聞いただけで全てを理解できる、という意味で賢明で察しのいい人のことを言います。
一の質問に十を返されたら、十を聞いて百を知れるのか、答えは否です。
人間の脳は一度に百も知れるほどの力はありません。
寧ろ一の質問に対して知りたかったことすら記憶が薄れてしまい、「一を聞いて十を知る」能力がある人が「十を聞いて十以下を知る」状態に陥りかねません。
足し算ではなく、引き算を行うことで、本当に大事なものが強調されることもあります。
無駄をなくして、真に必要な情報を見極める力を養うべきでしょう。