MONOCHRONICK

一度に一つの事しかできなくたっていいじゃない。

色眼鏡で人を見るのはやめよう

この世は偏見に満ち溢れています。

 

偏見に頼ると判断が楽になるからです。

 

まずは見た目の偏見です。

「人は見た目で判断してはいけません」

よく子供のころ親に言われたんじゃないでしょうか。

でも私が言いたいことは少し違います。

見た目にはある程度内面がにじみ出るものだと思っているからです。

爽やかな人は汚らしい人よりきれい好きである可能性は高いし、スタイルがいい人は運動とかをしていて体に気を遣うまめな人なんじゃないかと思うのは当然のことです。

でも、それは統計的なものであって絶対的なものではありません。

見た目をヒントにすることは問題ありませんが、見た目で内面までを判断して勝手に決定してしまうのは立派な偏見です。

 

後は略歴から判断される偏見でしょう。

分かりやすいところで言えば「いい大学出てるから」「大手企業に勤めてるから」といった理由でその人が優秀かどうかを判断することです。

これも当然、学歴が良かったり大手に入社出来てるってことで、優秀な要素がある可能性は高いです。

でもそれこそ、会社のESにふつうは大学名を書きますが、全員が大学名を隠した場合、果たして同じ人が採用されているでしょうか。

絶対にそんなことはないと思います。

このことから、少なくとも日本社会は、偏見がうまいことかかった人が上にのし上がりやすい構造になっているといえます。

 

先輩・後輩という構造も偏見構造です。

長く生きている分経験に勝るからといって、能力まで先輩が上とは限りません。

もちろん経験を積み重ねて高い能力を築いている人は大勢います。

しかし、その陰で、のらりくらりと年を重ねた先輩社員も、その大勢の努力に隠れて高い評価を得ているかもしれません。

 

年功序列という方式がそもそも偏見評価制度といえるでしょう。

年が上の人の方が高く評価される。というのはすなわち、「年上の方が経験が豊富で仕事もできるはず」という偏見に他なりません。

 

今、その構造に気づいた人たちが、社会の構造を変えるべく新しい分野で活躍していってます。

そんな中で成功を収めた一握りの人は、偏見を勝ち取ります。

成功者バイアスは日本で最も価値ある武器の一つです。

 

偏見を勝ち取ることは生存戦略です。

しかし、偏見に踊らされてはいけません。

偏見に気づけない人には成功者バイアスは手に入れられません。

 

色眼鏡で人を見るのをやめるというのは、対等に人を見ることです。

対等だからといって先輩に敬語を使わないとかではありません。

先輩も後輩も身分も役職も取っ払って人を見る、ということです。

正しく人を評価できるようになれば、正しい評価と実際の評価の差異も見えてきます。

その差異が偏見です。