お酒が作り出したまやかしの文化 お酒とむきあう
大学生や社会人になると、お酒の付き合いが多くなります。
お酒を飲める人ほど先輩に可愛がられる、というのはよくある日本的風潮です。
そんなシーンをたびたび見る中で、日本人は「頑張って自分もお酒を飲めるようになろう」などと考えてしまっています。
そもそも「頑張る」という言葉が好きではないのですが、それはさておき、お酒は楽しむためのツールのはずです。
そこに成果を求めるのはそもそも間違っています。
飲みたい人は飲めばいい、それだけです。
ところが、一度日本的風潮で教育を施された20歳そこそこの若者たちの一部は、こう考えます。
・お酒を飲める人が強者
・人より飲める自分がかっこいい
・先輩の飲む速度に合わせなければ
このまやかしを生み出したのはいわゆる日本をしょって立つ大企業のおじさま方であり、大企業に入るために訓練を受けた体育会系の大学生達はこのまやかしを信じてやまない訳です。
大企業が就職活動の最中に行う懇親会なんかでは「飲みニケーション」といわれる文化が蔓延っています。
大企業で教育を受けた社員たちにとって、飲みで気が利くやつ・一緒になって飲んでくれるやつ、を見つけるための狩場が懇親会なのです。
もちろんそれだけで選んでいるわけもないのですが、飲みに来ないやつは付き合いが悪いというレッテルを貼られます。
そうして、いやいや酒の場に行くような若者が増え、終いには「最近の若者はろくにビールも飲まない」などというアルハラを始める先輩が現れるわけです。
この構図は双方にデメリットしかありません。
酒を飲みたくない若者は、行きたくもない飲み会に参加して、飲みたくもないお酒を強要される。
酒を飲んでおじさんに気に入られたい若者は、おじさんの顔色を窺いつつもお酒を飲み続け、おじさんに気を配りながらで実のある話もできず一日を終える。
酒を飲みたいおじさんは、酒を飲まない若者にストレスを感じ、一緒に飲んでくれる若者と共に深酒をしながら日々のストレスを発散し、翌日以降のパフォーマンスを顧みない。
しかし、この構図が基盤にある会社は、その根本を変えようとはしません。
若者が「仕事を選べる」側に立ってきている現代、優秀な若者がそういった会社に行かなくなるのは自明の理です。
昨今で若者のお酒離れが進んでいるというニュースもありますが、むしろ二極化が進んでいるんだと思います。
優秀な若者たちは、このまやかしの構図に気が付いています。
彼らはお酒が嫌いなわけではなく、楽しむためにお酒を飲みたいだけです。
まやかしの構図の中での飲酒には決して楽しみを見出せません。
まやかしに気づかない若者たちの中で、バカ騒ぎを強要したい前時代的考えに染まってしまった人たちは、むしろ積極的にお酒を浪費しています。
そして、30代以上の方の中でも、昨今の健康ブームや文明の発達によって、まやかしから目覚めた人たちもいます。
しかし、彼らは風潮を変えようと行動するわけではなく、不満を抱きながらものらりくらりとやっていっています。
私はお酒は好きですが、家で一人で飲むことは絶対にしません。
それは私がお酒というツールを使う目的にそぐわないからです。
大学時代から立派な洗脳を受けて飲み続けてきましたが、その当時から家では飲みません。
洗脳を受けている間は、それが一番正しい・楽しいと思えているから気づきようはありません。
洗脳を解くには、それ以上に強い洗脳が必要になります。
より上位の大切なものです。
皆さんは何のためにお酒を飲んでいますか。
お酒で本当にストレスが解消されますか。
お酒の力を借りないとできないことは、本当にやりたいことですか。
前時代から引き継いだまやかしを鵜呑みにするのではなく、一度お酒を飲む目的に向き合ってみてはいかがですか。
(場の空気に流され、二日酔いの頭の中この記事を書いています。)